野菜と同じように、花も土に育まれ、移ろう季節がある
壱岐 宮地さんとの出会いは、数カ月前にthe little shop of flowers(以下、リトル)宛にお手紙をいただいたんですよね。3~4枚にびっしりと、花に対する熱い思いが丁寧に直筆で書かれていて。まずそのことにすごく感激して、ぜひ畑に伺ってみたいと思ったんです。
宮地 こんなにすぐに来ていただけるなんて思っていなかったのでうれしいです。リトルさんが山梨で専用の畑をつくったり、農家に会いに行くような活動をされているのを知って、東京にそんな花屋さんがあるんだ!と。とにかく自分の思いを手紙に書いてお送りしようと思いました。
壱岐 山梨の甲府では、それまで花苗の生産をされていた農家さんとご縁があって、2年間限定でリトルの畑を持たせてもらったんです。普段は、その農家さんが手入れしてくれているとはいえ、それまでは扱う花のほとんどを市場で仕入れていたし、畑を訪ねるような機会もなかったので、ひとつの花が土から芽をだし、どんな風に育っていくのか、その一部始終を見ることができて、たくさんのことが学べました。花農家さんは、こんなに大変なんだ、ということも含めて。
宮地 僕は、逆に家業が花屋で、子どものころから両親の仕事を見てきたので、花屋の大変さもよくわかりますよ。
壱岐 食については、この5~10年で、畑や生産者がぐっと身近な存在になってきましたよね。でも、食べものと違って花は体に取り入れるものではないからか、どんな人が育てているのか、どんな土で、農薬は使っているのかなど、気にする人はまだまだ少ないような気がしていたんです。でも、リトルの畑でお客さんに収穫してもらうという会を開いたとき、来てくれた方たちが口々に「こんなふうに咲いてるんだ」「こういうことが知りたかった」と言ってくれたんです。受け取れる場がないだけで、知りたいと思ってくれている人はいるんだと、背中を押してもらえたというか。なので、私たちが花農家さんのもとを訪ねて、農家さんの思いや、その土地の気候風土によってさまざまな背景があることを学んで、お客さんと共有していけたらと。機会があれば、できる限り生産者さんに会いにいこうと思っているんです。
宮地 同じ品種でも、一つひとつ顔が違う。花屋さんで切り花の状態で目にするのと、土から育っている姿を目にするのとでは、やっぱり違いますよね。植物との間に、目には見えない豊かな関係性が生まれるというか。
壱岐 ほんとうに、私たち自身もそのことを実感した2年でした。「green fabrik」は、畑というより庭園のようですよね。ここから切り出して出荷されているんですか?
宮地 そうです。普段は名古屋の市場に自ら出荷しています。父と一緒に、2009年からつくり始めました。入り口にある大きなハナノキ、正面のウメの木、一番奥にあるケヤキはもともとありましたけど、それ以外は自分たちで植えました。この環境でどんな植物が育つのか、毎年試行錯誤しながら今の形になってきて。
壱岐 品種の選び方もとても素敵だなと思います。
宮地 花束のメインになるような花よりも、脇役的な花のほうが好きなんですよね。
壱岐 そう、私もなんです!
体に取り込まない花を、無農薬で育てる理由
壱岐 市場に出荷するには、虫食いがないか、形が揃っているか、などの規格を通す必要があるために、農薬や化学肥料を使わざるを得ないという実情があって、ひとつの品目に特化して栽培するほうが効率がいい。宮地さんのように無農薬で、多品目をすべて路地栽培している花農家さんは、まだまだ少なくて貴重な存在だと思います。
宮地 僕の場合は、あえてこういう形で取り組んでいるんです。フローリストがいろんな花材でひとつの花束をつくるのと同じ感覚というか……。ものすごく手間がかかるんですけど、緑にもいろんな緑があり、真っ直ぐ伸びるものもあれば、曲線を描くものもある。この時季にしか咲かない花たちから、季節の移ろいを感じることができる。自分にとっては、そういうことのほうが大事なんです。さっき壱岐さんがお話されていたように、花は体内に取り込むものではないから農薬や化学肥料を気にする人はまだまだ少ないけれど、環境にいいことだとは言えない。長いスパンで見れば、未来に負担がかかってしまいますから。
壱岐 土の中は目に見えないし、農薬の影響もすぐに現れるものではないぶん、なかなか伝わりづらいことですよね。
宮地 でも、ここで作業をしていると、この2~3年で気候変動の影響をダイレクトに感じるようになってきています。ただ、自分としてはあたり前のこととしてやっているので、市場への出荷のときもあえて「無農薬」とは謳っていないんです。他のやり方と比べたいわけではないですし、こういう農家もいるってことを少しずつ知ってもらえればいいというか。
壱岐 でも、実際に無農薬となると、出荷できないものもたくさんでてくるんじゃないですか?
宮地 そうですね。まず、虫は絶対につきます。なので、全部花が咲いても、商品になるのは6割ほど。僕らだけの環境ではないので、いろんな虫がいたり、気候の変化がある中で、形にできるものだけを使わせてもらえたらという考え方でやっていて……。畑の奥にコンポストをつくっているので、抜いた草や剪定した枝などはそこで堆肥にしてまた畑に戻して、なるべく自然に近い形で循環するように、水やりも雨だけにしているんです。あとは、近くに林業で伐採した木をリサイクルする工場があって、そこから木材チップをもらってマルチングとして使っていたり。なので、ここからゴミがでることは一切ないんです。
壱岐 ゴミがまったくでないって、すごいことですよね。言葉にすると簡単なようでも、実際にそれをやるのはすごく労力のいることだと思います。リトルで接客していると、「枯れていく姿も、少しくらい虫に食われている姿もきれいだと思っているけど、そういうお花屋さんがないんです」という声もあって。お客さんには受け取れる感性があっても、売る側がそこに辿り着けていないような気がしますよね。宮地さんのような農家さんが増えてくれたらうれしいと思っているけど、花屋の立場で農家さんを促すことに、躊躇いもあるんです。大変なのがわかる分、理想を押し付けることになってしまうんじゃないかなと……。
宮地 きっと農家と花屋のコミュニケーションが必要ですよね。そんなふうに思ってくれている花屋さんやお客さんがいるっていうことを知らない農家さんもたくさんいると思います。ここで育てているのは、ほとんどが宿根草(花や茎が枯れても地下の根は残り、生育時期がくればまた花を咲かせる品種のこと)なんです。なので、枯れていくまで見届けるんですけど、その姿もうつくしいなと感じます。この畑の脇に、先祖が眠るお墓があるんですけど、いずれここに両親も入るし、僕らも入る。たとえば、いつか手入れをする人がいなくなったとしても、この畑ならそのまま自然に還って森になってくれるだろうと。
壱岐 素晴らしい考え方ですね……! ものすごく共感します。
いくつもの豊かな「庭」を育むこと
壱岐 宮地さんは、東京農業大学とドイツで造園を学んだという経歴の持ち主なんですよね。
宮地 高校生のときに今でいうSDGsのようなことに興味を持ち始めたんです。それで、調べていたらドイツが環境先進国だというのを知っていつか行きたいと思っていました。東京農大は、造園やランドスケープを学ぶ学科でしたけど、都市や外構などのデザインよりは、里山の暮らしや生き方に興味があったので原風景を考える研究室に入っていました。それで、卒業したらドイツへ行こうと。留学ではなく働きたくて、何かいい方法はないかなと探していたときに、縁があってドイツの造園会社で住み込みで働かせてもらえることになったんです。
壱岐 それはすごくラッキーでしたね。
宮地 そうなんです、ドイツでは毎日いろんな家の庭を手入れしにまわるんですけど、庭づくりが勉強したかったというよりも、ドイツの人たちにとって庭がどんな存在なのかが知りたいと思っていたので、すごくよかった。日本で庭というと、日本庭園のような眺める庭になってしまうんだけど、向こうの人たちは天気がいいと、ただ芝生の上にテーブルと椅子を持ち出して、友人や家族とお茶をする、というような気軽さがある。
壱岐 肩肘はらない感じ、いいですね。
宮地 でも、「家庭」という言葉を「家」と「庭」で表した、日本語の感性もいいなと思うんです。だからこそ、日本の今の暮らしにも「庭」があってほしい。
壱岐 確かに……!
宮地 「庭」というと、大きくて手入れされた庭を思い浮かべてしまいがちですけど、そうじゃないんだと、ドイツの人たちを見ていて思いました。考え方、捉え方ひとつというか。部屋の中に観葉植物ひとつ置くだけでも、その人にとっての庭になるんですよね。
壱岐 ほんとうにそうですね。花を飾ることも、自然と人、人と人、たくさんの関係を育む「庭」であってほしいなと思います。